花は咲くか 大阪転勤問題に見る伏線マジック。
4巻5巻のH比較どこいったよ!?
いえ、それはまた、書きますので!
とりあえず、今日はちょっと真面目な話題を。
(たまには良いでしょ!?)
大阪転勤問題について。
最終回を読み終えた今になって振り返ってみると、桜井さんの大阪転勤問題は、蓉一にとって、単に付き合いたての恋人と遠距離になってしまうってだけじゃなかったんだなぁって、改めて思ったわけですよ。
転勤の話をする直前に、両親の遺言の話が挿入されてるんですよね。
これが、何でかなぁって、初見の時は思ってたんですが、4巻の最後に、蓉一が両親の死を、自殺じゃないかと疑ってることが分かって。
蓉一はずっと、色んなことが勝手に決められていて、しかも自分には何一つ知らされずに、捨てられたのかもしれないっていう思いを抱えてたんですね。
その両親への怒りが、何も言わずに遠くに行ってしまうかもしれない桜井さんに重なって、爆発してしまう。
こんな時、あぁこの子、男の子なんだなぁって思うのは、悲しみが割とすぐに怒りに転嫁されているところ。
もちろん性格にもよるんですが、女の子は、無力感の方にいってしまう子が多いのに対して、男の子の場合、傷ついていることを、本人が自覚できないぐらい一瞬で、怒りに変換される方が多い。
“あの時”は子どもだったから、自分には何も言えなかったけれど、今はそうじゃない。
過去の傷が上乗せされてる分も相まって、言ってはいけないことまで言い過ぎてしまう。
そうやって、全力で怒りをぶつけたのに……桜井さんは、桜井さんなので。
「もういいよ」
ってなっちゃって、蓉一の怒りは肩透かしを喰った形になってしまって。
もちろん、桜井さんとしては、蓉一があまりにヒートアップしているので、冷静になるまで時間が必要だと思っての、大人の対応というか、ある種の思いやりではあったと思うのですが、普通は、これをやって、しかもあんまり時間あけすぎちゃうと、こじれるばかりだと思うんですよね。
まぁだから、桜井さんは散々、“女に出ていかれる” 目に合ってきたのでしょうが(笑)
ところが、ここからの、蓉一がすごい。
この後の蓉一のモノローグの変遷が、本当に秀逸だと思います。
子ども扱いされて腹が立つ
↓
それでも俺はあの人が好き
↓
ただ「好き」って言葉が欲しいだけなのかも…
↓
先送りして待たせても俺が不安になるだけだってどうして分からないのかな
↓
(菖太の「そういうのって性格だよねー」)
↓
待ってるのは俺じゃなくて桜井さんの方なのかも
“捨てられたかもしれない子ども”を卒業する、というのが、この物語の中での蓉一の一番大きなのテーマだと思うんですが。
このモノローグの変遷を辿って改めて思うのは、この子がどんなに周囲に愛されてきて、それをちゃんと受け取ってきたかって事。
それ無くして、この、最後の切り替えには至らないと思うんです。
“待ってるのは俺じゃなくて桜井さんの方なのかも”
これって、桜井さんの愛情をどこかで信頼してないと出てこない言葉だと思うんですよね。
その前の、
“先送りして待たせても俺が不安になるだけだってどうして分からないのかな”
も、同じく。
愛されてるって知ってるからこそ、わざわざ不安になるような事をする彼の態度が不満というか。
それ(愛されていると知っている)が無いと、この局面って、もっとずっと深刻で痛々しいものになるし、立ち直りにはもっと時間もエネルギーもかかると思うんですよね……
……桂木みたいにね!!
(痛々しさの代表として引用されてしまう桂木www)
(だから憂鬱な朝は8巻まで必要だったんだな!)
そう思って最初から読み返してみると、桜井さんの転勤問題って結構最初から出てくるんですよね。
探してみてびっくり。
何と1巻の6話から、伏線があるんですよ。
井上と、営業の久保田さんの会話で。
この時は、オンタイムで読んでいなくて、単行本でさらっと読んだので、こんなに大きくテーマに関わってくるなんて、思いもしませんでした。
ところがこの後、蓉一と付き合う事が決まった3巻の終わりまで、折に触れてじわじわと具体化してきて…まるで、時限爆弾みたいだな、と。
しかも、この大阪転勤に絡めて、柏木さんからの援護射撃があって、桜井さんも、自己完結癖と、諦め癖から、一歩を踏み出す、というところまで繋がっての、最終回の、
“離れていても、ちゃんと関係していける二人”
に繋がっていくことを思うと、本当に……
日高ショーコ先生の伏線マジックに、改めて目を見張る思いの今日この頃であります…。